もう一週間前の話ですが・・・。


ついにゲットしました!

1年半近くに及んだ就活、これにて終了です。
内定を知ったのは、異国の地においてでした。

というのも、イタリア留学時代の友人の結婚式に参加するため、20日から24日までイタリアに渡っていたのです。

電話連絡が来るのが23日の5時〜6時と言われたので、人事の人に、実家の両親に電話を入れてもらうようお願いし、僕自身は実家に国際電話をかけて電話があったかどうか確認する、という形を採ることにしました。


現地に着いてからは連絡待ちの現実も忘れ、友人との久々の再会などを楽しんでいたけれど、さすがに連絡当日になると、何だか落ち着かない。

受かってようが落ちてようが早く結果を知りたかったので、日本時間で6時を過ぎたころに、両親に電話を入れました。(ちなみにイタリアの時間は日本から−7時間)。

プルルプルル・・・。

「はい○×です」

電話に出たのは親父だ。

「お〜すぐお母さんに代わるわ」

「もしもし」

おかんはすぐに出た。

「電話、来た?」

「残念でした・・・。」
ががーん。

さいごの命綱も切れたか・・・・。


とおもいきや、おかんの言葉はまだ続く。


「・・・と言いたいところやけど、さっき連絡ありました!」

「マジで!ほんまに!?」
なんでそんな精神的ダメージ与えるようなこと言うねん、というつっこみも忘れ、僕の心は一瞬の絶望から一面のバラ色へと劇的に変化しました。

そして、心底、ホッとしました。

その安堵は、内定の喜びよりも、ずっと大きなものでした。
最後の砦だったし、ましてや就職浪人であるし。
もし去年、内定をもらっていたら、嬉しさの方が上回っていたような気がします。


親との会話が終わった後すぐに会社に電話を入れ、お礼を述べました。
帰国して翌日、内定授与式。
その場で「今年の内定者は全員、今のところ編集局に記者として配属予定」と言われ、またもや「ホッ」。
内定時期はかなり遅くなってしまったけど、結果として第一志望のスポーツ新聞社に受かることができた。
就活以外にも選挙事務所のバイトをやったりしていたのもあり、正直、就活に対して100%の努力をしたとは言えないけれど、結果がでなくても諦めずにポジティブな姿勢を貫いたのがよかったんだと思います。
ESの「好きな言葉」の欄があったとき、

「負けたら終わりなのではない、やめたら終わりなのだ」

という言葉を書いていたんですが、まさにそれを地でいくフィナーレでした。
諦めない心が、「運」を呼び込んだんだと今は思います。
もちろん、勝負はこれからの長〜い人生です。
好きで選んだ仕事なんだから、忙しさにも言い訳せず、頑張るべし。


今年は殆んど日記を書いてないので他に執筆されてる方との交流は残念ながらないけれど、去年はオフ会にも参加し、そこで知り合いを得ることもできた。
彼(彼女)らには、就活で東京に行った際に一緒に飲んだり、ESを見てもらったりと、お世話になりました。

本当に、多謝。




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